・2024年9月1日、2025年3月23日に続く愛知製鋼(旧豊田製鋼)の工場疎開跡の第3報です。
・9月27日に「中部産業遺産研究会」の一行22人が、マイクロバスでこの戦争遺跡を見学に来ました。
・まずは鈴木家に到着前、岩倉神社の農村舞台を車中から拝見。1945年の春・夏には、豊田製鋼の工場疎開の工事に来た朝鮮の人達が、舞台上で寝起きしていました。
・このあと、当時の証言者であり地主である鈴木勝己氏の案内で、鈴木家周辺を見て回りました。会社が事務所用に借りた養蚕用建物と変圧器が置かれた畑を見ました。
・その後、旧トロッコ道を歩いて横穴に到着。横穴は、「ヨ」の字の形で総延長が約30mあります。横穴に入った見学者は、「想像していたより大きいね」との感想。内部には、つるはしの掘り跡が残っています。横穴は、高さ・幅が1.7mあるので、大人が立って歩くことができます。
・帰り道は、西側のあぜ道(赤道)を通り、東側のトロッコ道が旧西中金駅からの路盤に接続していたことを確認して、鈴木家に戻りました。約1時間半の滞在でした。
・一行はこのあと、足助の町並み(伊奈街道、寿(す)ゞ(ず)家(や)再生プロジェクト、旧足助資料館の建物)、日東醸造の足助仕込蔵(旧大多賀小学校)、旧今井貯木場施設(百々(どうど)町、国重要文化財の公示直前)の3か所を見学し、丸一日の見学会を豊田市駅で終えました。
※この記事は、山田富久氏からご提供いただいきました。
(石野を考える会)