所在地:豊田市国附(くにつき)町地内(豊田市街地からクルマで30分ほど)
この神社のある国附村(当時)は慶安4(1651)年から大島陣屋の石川氏が知行し、神社も貞享2(1685)年に石川氏が創建したと伝えられています
(「角川日本地名大辞典」)
大島石川氏は七千石の旗本で江戸に常駐していました。三代總乗が元禄12(1699)年に家督を承継しました。地元の伝承ではこの地に初めて領地を得たので、これを寿ぎ、地名を「国附き」としたといわれています。先祖が氏神として創建したというこの八柱神社に家督承継の御礼とし、元禄14(1701)年に剣が奉納されたということです。
なお、剣は現在は豊田市郷土資料館に寄託されています。 (豊田市郷土資料館No.82掲載の高橋碇之介氏署名文書より引用)
また、神社の鳥居には天明2(1782)年と記され、 石川阿波守總恒(いしかわあわのかみふさつね)の名が刻まれています。かつては境内に大きな舞台もあり、祭礼のときには、棒の手の奉納や鉄砲の音でにぎやかだったそうですが、いまは静かな社叢林のなかにたたずんでいます。
なお、この社叢林は「八柱神社社叢林」として豊田市の名木(指定番号197)に指定されています。
(この紹介は石野コミュニテイ会議編集の「歩こまい石野の路」を参考にしました。)